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熊野(くまの)は、大日本帝国海軍の重巡洋艦。最上型の4番艦〔#艦艇類別等級表(昭和15年12月25日)p.2『艦艇類別等級表|軍艦|巡洋艦|二等|最上型|最上、三隈、鈴谷、熊野』〕。15.5cm砲搭載の二等巡洋艦(軽巡洋艦)として建造され〔#ポケット海軍年鑑(1937)p.42『ニ等巡洋艦"最上 もがみ" 全要目 最上級15糎砲軽巡は、倫敦條約の産物であるといつてもよい。勿論條約などに關係なく英米は建造する豫定でゐたのであらうがはつきりと10,000噸15.5糎砲と極限を定めたのは條約である。米國の"ブルツクリン"英國の"マンチエスター"は各12門であるらしが、わが國では一足お先に最上、三隈の2隻を竣工させた。我國最初の三聯砲塔であると同時に、最も進化した装備と艦内諸設備は全く目を瞠るばかりである。明日の海軍を擔ふ氣鋭の新戰部隊に嘱望する所は大きい。後續の"三隈 みくま"は昭和10年8月竣工したが"鈴谷 すゞや"や"熊野 くまの"は最近進水を遂げ、次に"利根 とね" "筑摩 ちくま"と建造計畫はすゝんでゐる。』〕、後に主砲を20cm砲に換装し重巡洋艦となった。一方、日本海軍の書類上の分類は戦没まで二等巡洋艦(軽巡洋艦)だった〔。 == 艦名 == 重巡洋艦熊野の艦名は奈良県、和歌山県、三重県を流れる熊野川に因んで命名された〔#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.138『熊野(くまの) 艦種 二等巡洋艦 艦名考 紀州熊野に採る』〕。大日本帝国海軍(以下日本海軍)軍艦としての熊野は、明治時代の水雷母艦熊野丸、大正3年に日本郵船から購入した水雷母艦熊野丸に使用されている。重巡洋艦熊野の艦内神社は熊野坐神社(現・熊野本宮大社)〔#官幣大社熊野坐神社年表p.37『昭和12年・皇紀2597年|○五月十五日、軍艦熊野艦ニ當社御神璽奉斎ニツキ同艦乗組南出大尉参拝、○十月三十日、本社御神璽ヲ軍艦熊野ニ鎮祭』〕。熊野の建造時、熊野坐神社本殿を模した艦内神社が寄贈されたという〔#第5641号寄贈品受納に関する件p.5〕。毎月1日には熊野神社例祭が行われていた〔#S1905熊野日誌(2)p.3『(1944年)6月1日0830 熊野神社例祭』、p.45『7月1日 熊野神社例祭』〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「熊野 (重巡洋艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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